淡路島観光❗️菅原道真の伝説の地を巡る😁浄土寺、菅相寺、河上神社天満宮の3ヶ所ご紹介します〜🤗
久しぶりの淡路島観光編❗️しかも、歴史ロマン系・菅原道真です😁
洲本のローカルテレビで放送されていたのを見て、いつか巡ってみたいと思ってたのですが、ついに先日まわりたかった3ヶ所をコンプリートしました❗️
菅原道真(菅公)といえば、歴史弱者の僕でも学校で習った記憶がある超有名人。
平安時代の学者でとても頭が良く、現代では学問の神様として祀られたりもしている偉人です。
そんな菅原道真と淡路島には接点があるんですねー。
右大臣の地位にのぼりつめた菅原道真を、左大臣・藤原時平が危険視。中傷を受けた菅原道真は、九州の太宰府に左遷させられてしまいます。その九州までの道中、立ち寄ったのが淡路島と言われています。
今回は、菅原道真が立ち寄った3ヶ所の寺社にまつわる伝説をご紹介していきます🤗
浄土寺
まずはじめは、洲本市の都志にある浄土寺。
菅原道真は、淡路島の中でもこのエリア(都志・鮎原)に身を置いていたようです。
そもそも、都志と鮎原の地名は菅原道真に由来していたりして。浄土寺がある都志は、都を追われた菅公が、再び都を志すという思いから名づけたそうです。
さて、浄土寺に残る伝説です。
菅原道真は、九州までの船旅の途中で水が飲みたくなって、都志に寄ったそうで。
その際に献上したお水が、浄土寺の井戸から汲んだお水だったそうです。
今は封鎖されていますが、当時、井戸の周りに綺麗な菊の花が咲いていたことから、菊水の井戸と呼ばれていたんだとか。ただ、井戸は何度も移動されているらしいので、当時の場所とは違うみたい。
菅公に差し出す綺麗な器がなかったそうで、蛸壺を綺麗に洗ってその中にお水を入れたんですって。
井戸の側にある案内看板によると、また別の伝説もあるようなので、興味のある方はこちらも読んでみてください😊
おもてなしに大変喜んだ菅原道真は、自作の十一面観音像を安置。見ることはできませんでしたが、浄土寺のご本尊になっているそうです。
境内には、菅公が植えた松の木「神愛の松」もあります。
浄土寺の住所 | 兵庫県洲本市五色町都志468 |
菅相寺
2番目にご紹介するのは、最近綺麗に改修された菅相寺。お寺の名前からして、菅公との関わりの深さが伺えますね。
菅相寺があるのは、都志のお隣、鮎原エリア。
ここら辺はとても景色が良く(今でも素敵な場所です)、菅公が都志川を使って遊びにきたらしいです。
接待の際に、都志川でとれた鮎を、菅公に献上。きっと、「うまい、うまい」と食べたのでしょう😁
「この地を鮎の原と呼びなさい」と菅公が言ったもんだから、鮎原という地名に決定。
当時のお偉いさんの一言は、地名を決めてしまう力があったんですねー。
今の大臣が言ったら、、、、「は?」ってなりそう😆
さて、菅相寺では何が見られるのかと言いますと、石です。
お寺に入ってすぐ右手にあるこの建物の中にあります。
じゃーーーーん
思いっきり、普通の石です😅
何の石かというと、菅原道真が鮎原の景色を眺める際に腰を掛けていた石なんですって。
確かに、凹凸は少ない。
この石がちょうど眺めの良い場所にあって、よっぽど長い時間、座っていたんでしょうね。
菅相寺の住所 | 兵庫県洲本市五色町鮎原南谷152 |
河上神社天満宮
最後にご紹介するのは、河上神社天満宮。菅相寺と同じ鮎原エリアにあります。
河上神社に菅公はお参りに来ているのですが、境内にあるイブキの木が伝説になっています。
菅公が一本の杖を土に刺したら、そこから根が生え、枝が生え、大きなイブキの木になったという物語。
今僕らが見られる実物は、途中で折れてしまったのか、大きさはそれほどでもないのですが、とにかく迫力がすごい❗️❗️
横から写すと、ロンギヌスの槍みたい⚡️
イブキの木は、石柱で支えられています。
しかし、枝の伸び方が縦横無尽で、荒々しさがすごい。都を追われた菅公の怒りでも表現しているのでしょうか😁
側にある案内看板によると、こちらのイブキは推定樹齢500年❗️
いやいや、ちょっと待て。
菅原道真が活躍したのは、平安時代の西暦900年頃。
このイブキが樹齢500年だと、、、計算が合わなくないっすか〜😆
でも、一見の価値はある木だと思います。
大部分が白骨化しているように見えるのですが、ちゃんと生きているんです。
力強さに胸打たれました。
河上神社天満宮の住所 | 兵庫県洲本市五色町鮎原南谷592 |
というわけで、今回は珍しく淡路島の歴史ロマンをお届けしました。気になった場所があったら、ぜひ足を運んでみてください。
一言で地名を決めてしまう菅原道真、恐るべし😁
当サイト「淡路島に移住してから」では、これからも淡路島の魅力を発信していきます。応援よろしくお願します🙌
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